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2025 .06.23
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先日、PCにて作業中に変な通知が出まくって困ったことがあった。

インストされているノートンセキュリティからの通知だ。

「ノートンが System Infected: Bitcoinminer Activity 7 で攻撃を遮断しました」という通知が延々と繰り返される。

はて?なんだろうか。

通知先は「pool.minexmr.com」。


心当たりがない、と思いさらに調べると、どうやら攻撃を受けていたわけではないらしい。

結論から言うと、犯人は「BRTSvc」だった。

これがいつの間にか我が家のPCにインストされていた。


どうやら外部へ接続を試みるものらしく、PCがそのサイトへの接続を試行し、それをノートンがブロックする。それが繰り返されるたびに通知がきていた、ということらしい。

調べてみたら、CPUパワーの占有がえぐい。バッテリー消費にも影響があったかもしれない。

かなり焦った。



「BRTSvc」で検索をかけるとハングル文字のページにヒットしまくった。・・また韓国系のあれか、と翻訳などで情報を精査してみると、こいつは「ビットコインのような仮想通貨の採掘」をするものらしい。


要するに仮想通貨のマイニングソフトらしいのだ。


最近話題となっていた漫画村の件なんかでも目にしていたが、本当にあるんだなー・・と呆れた。まさか我が家でもこんな問題に直面するとはねえ・・。



スリープへの移行やシャットダウン時にも弊害が出ていたのはこれか、とため息をついた。

犯人がわかれば対処するのみだ。

サクっとアンストした結果、通知はピタっと止まる。

やれやれであった。

ちなみに調べてみたら、侵入先は、キャプチャーソフトの「Ocam」だった。


「Ocam」をv430へとアップデートする際に、やらかしていた。


インストーラーが起動した際に、「BRTSvc」の追加インストールがついてきたらしい。

利用規約を精査し、[Install BRTSvc]のチェックボックスをオフにしていればよかっただけの話だった。


要するに、私が寝ぼけていたのか、脇が甘かったということであった。反省。


ちなみに「Ocam」は、手軽にネットの生放送などを録画できるので使用しているソフトだが、これも韓国製なのかもしれない。


付帯インストールなどを織り交ぜて、あの手この手で個人のPCからマイニングするような手法が、これから流行りそうでいやだなあ・・。


ちなみにwindows10のノートンユーザーで、同じような通知にお困りの方は、コントロールパネルの「プログラムと機能」から「BRTSvc」が簡単に見つかると思うので、そちらからアンストして頂くようにお勧めしておく。


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思い返せば、ミュージシャンやアーティストのライブを見て涙が堪えきれなかった初めての経験をしたのは、有安さんを見てだった。

いくつかの事情があるのだが、簡単に説明すると東北の震災後に彼女の動画が話題となり、友人に勧められて見たのだ。

有名な横浜ブリッツでの、ニッポン万歳の動画だった。

この歌は、そもそもグループなりに、押しつけがましくならないように、それでも被災地の復興を願ってつくられた歌だったのではないかと聞いたことがある。


大々的に震災復興をうたった曲ではないし、シングルリリースもされていないはずだ

このそんな曲であるから、申し訳ないが、何枚かライブDVDを見たころの私にも、面白い歌だな、程度の印象しかなかったはずだ。

しかしこの動画を見てから今日まで、深く私の心に刻まれた曲になっている。

当時ももクロを知りはじめたばかりの私は、動画サイトにアップされていた動画を見漁っていた。今思えば、違法性の高いアップロード動画を見ていた可能性が高く、その点には反省を思うことも多々ある。

だが、有名な川上マネージャー氏がどこかで述べていたと記憶しているが、「この手のものにはかなり寛容で緩い」といった対応をしていたおかげか、ももクロを知るための素材が無数に転がっていた状況だったと思う。

私は凄まじい勢いで彼女達を知り、ファンとなっていった。

件のニッポン万歳を見たのはそんな時期である。

有安さんは、震災復興の願いが託されたパートを歌っていた。

いや、その動画では歌ではなかった。

そこには嗚咽に近い声を震わせ、涙を流しながら歌い踊る有安さんの姿があった。

これは厳密にいえば、最もストイックでプロ意識が高いと度々評されてきたはずの有安さんからは程遠い失態であろうか。
アマチュアのように感情をコントロールできずにパフォーマンスを失敗しているのだから。

しかし、震災で失ったことがあり思うところがあった私は、完全に彼女に感情移入してしまった。
月並みな表現だが、魂が揺さぶられたというか、心にズシンとくるものがあった。

涙を堪えることができなくて、ティッシュに手が伸びる。
それどころか、繰り返し視聴し、部屋にあったティッシュ箱の中身を半分ほど消費してしまった。

私にとってのアイドルとは、思春期を迎える頃に憧れていた南野陽子であり森口博子であって、何十年も時を経たこの時に、ここまでアイドルに心が揺さぶられたことは、私自身にとっても大きな驚きであった。


ちなみにアイドルというひとくくりの仕方が、このグループにとって適しているかどうかは後々考えさせられるところであったのだが。

とにかく私は、アイドルグループの、とりわけその中で緑の衣装を着たメンバーのファンとなってしまったのだ。

ちなみに私は、初めてももクロを知ったのは、大変申し訳ないが、ジャケット写真の件と、対談の中で他国への言及があった件の、ネガティブな報道が二つ続いた時期だ。

私は性格的にか、一方的な報道に対する野党精神というか、判官びいきというか、とにかく弱い立場の意見も知りたいという妙な欲求があり、例えば紙面を騒がせた事件があったとして、本当に報道のとおりなのか、偏向がないのか、確認するためにわざわざ裁判傍聴に繰り出すような、変わった行いをしていた時期もある。

この時、重ね重ね失礼ではあったが、私の目にはももいろクローバーZは弱い立場に映り、私の欲求はももいろクローバーZを知りたいと私を強く刺激したのだった。

そんな時期だったと記憶しているが、私は彼女たちのファンである消防士の友人に強く勧められて、あるライブのDVDを初めて目にすることになったのだ。

ちなみに余談であるが、友人はもちろん、彼の職場の少なくない人数がモノノフを自称している。どうやらなぜか消防士には同好の士が多いらしい。

話を戻すが、その時見た私にとってのはじめてのライブ、まさに「はじめてのももクロ」が、当時リリースされたばかりの5TH DIMENSIONであった。

つまり私が最初に視聴したライブは、5色の華やかな世界観も、モノノフのコールの凄まじさも知らないまま、奇妙な仮面を被ってシックなデザインのベージュに統一された5人組が行うライブから見てしまった?のだ。


私のイメージしていたアイドルの華やかさやコケティッシュさといった要素は皆無。
スタイルも悪く見えてしまいそうな長袖長ズボンの衣装で歌い踊る姿に、私は混乱した。

この時、なにも知らかった私に強く残ったものが3つある。

まずそのパフォーマンスの中で強く印象に残った楽曲だ。

私にとって変わらず今でも仮想と灰ダイが心の中のベスト曲候補のままだ。

しかも、猛烈、労働、乙女、サラバ、などのキラーチューンを初めて一斉に見たのだ。

私は友人に、まず楽曲からファンになったと断言している。

次に強い印象を残したものが演出だ。多数のダンサーがパフォーマンスする、まるでなにかのショーのような演出。
そして合間に入る「サイリウムまであと〇〇分」の表示。
私はこの時まで、サイリウムという単語を知らなかったし、パフォーマーが帯同する大掛かりなショー的要素の強いライブが持ち味のグループなのかと勘違いすらしてしまった。

そんな見方で進めていた私に、最も印象を残したものはやはり、ライブ後半に爆発したファンと、5色の凄まじいエネルギーだった。
初見の私は、前半のアーティストとしての見せ方から感情移入してしまったので、後半の全力パフォーマンスに、このグループの真骨頂に、ただただ圧倒されたのだった。

私がこちらこそがももクロの本質だと知るのにはもう少し時間を要した。
このDVDの中で、とりわけ前半に繰り返し聞いてみたい曲が多数あり、頭にメロディーが刻まれるまで、前半だけを何度かリピートして見てしまったからだ。

そんな私にとってこのライブがももクロにとって異質な部類のものである、ということに気づくのは後日の話だ。

今になって思えば、次に勧められて見たのが、春の一大事2012のパノラマ地獄だったことを考えると、友人のチョイスに悪戯めいたものを感じずにはいられない。

しかし、これから5人時代のももクロのライブを見てみたいというリクエストがあったら、私もこの順番で見せることにするだろう。そうして感想を聞くことにより、当時の自身の感情の追体験をしてみたいという欲求がある。

この時の私はやはり初心者らしく、センターポジションで笑顔を爆発させていた愛されているリーダーに魅力を感じていたと思う。

しかし5THを見たころ、私はももクロ情報を求めて知ったことがあった。

メンバーの内の緑を担当する彼女に対して、ネガティブな意見があったことだ。

これはあくまで私見だが、今の穏やかで愛に包まれて見えるももクロちゃんを取り巻く環境は、この頃もう少しとげとげしく、ギスギスしていたように思う。
確かオズフェスに出演することが、専門誌に叩かれたりしていたのもこの時期だったと記憶している。

そんな時期だからか、有安さんは批判されていた。
彼女の当時の体形についてだったと思う。

悪意に満ちた表現も何度か目にした。

事実、まったくもって申し訳ない話なのであるが、5THを初めて見た時の私の初見の印象は、この時の衣装も相まって、やはりスラリとした4人と、若干ぽっちゃりとした1人のバランスとして残っているのである。ごめんなさい。

ともかく、当時の私の目に有安杏果は、歌唱力は高いが、叩かれがちな少女として映ったのだ。


そういった環境で、前述の私自身の嗜好もあり、私は有安さんが気になっていく。

そして彼女を応援したい欲求をもつことになった。

以前に赤のリーダーが「私から入って他推しになるあるある」と自虐ネタとして笑い話にしていたが、私もそうであった。ごめんなさい。


こののち、冒頭のニッポン万歳を知った頃には、私は緑推しである、と胸を張って友人に告げていた。

緑の葉は散り、四葉のクローバーが残った。

全身を緑で武装して、足しげくライブにかよっていたモノノフのようなファンに比べたら、とくにグッズなども購入していないような、ライト層のファンである私個人などの悩みは少ないものだろう。

しかし古着で買った緑のパーカーを着るときに感じていた感覚が、高揚から喪失へとすり替わってしまった。

もうあの感覚でこのパーカーに袖を通すことはないのかと思うと、寂寥の思いがこみ上げる。

しかし我々のような思いを引きずってでも、グループは進まねばならない。

緑色を失ったこれからも、残った4色で新しい歴史を紡いでいくことは、彼女達には当然の命題であるはずだ。

だから、我々には及びもつかないようなエネルギーを、おそらく悩みも不安も悲しみも抱えたまま、新しいフォーメーションや歌に注いでいかなければいけないのだ。

ライトながらも緑を推していた私だが、素直に四葉となったももいろクローバーZを応援したいと思っている。

それは周知のとおり、有安杏果の願いでもあるのだ。

4人となった彼女たちの、グループとしての成功はおそらく、近い未来に評価を勝ち取ることだ。

例えばであるが・・・

「幸せを呼ぶ四葉のクローバーの伝説を体現したグループ。奇跡の4人だよ」

「有安が残した歌唱とダンスのエッセンスが、この本当のももクロを完成させた」

「あの時、有安杏果が卒業した時、もうももクロは終わってしまうのかと思ったけど、今になってこの4人でももクロなんだと、心から思える」

「緑が欠けて四葉のクローバーになった。でもあの時有安が言ったように、メンバーの4人と、モノノフとで奇跡の5角形が描けるんだと、今になってわかるよ」

・・そんな会話がファンの間で交わされる日が来る。

きっと来る。

私は、このグループの根幹は「走れ」であり、最大の強みは、走り続けて次のステージへと駆け上がる、ファンを引っ張り上げる、そんな実現力だと思っている。


きっと彼女たちは実現させるのではないか。

そして、四葉のクローバーを完成させる。

そのためにメンバーもスタッフも、これからも走り続けるのであろうから。

きっと評価を勝ち取る日が来るのだ。

私はその姿を心から応援していると思う。

私は、緑を推していたファンが、有安さんに心からお疲れさまでしたと思える日は、四葉のクローバーが輝いて評価を勝ち取った時に訪れるのではないかと思う。

新しい次元へと旅立つ四葉を応援するために、ああ、この4人ならば有安がいなくなっても大丈夫だ、と安心したい心理があるからだ。

個人的な意見だが、有安杏果という人間は、私がいなくなっても大丈夫かな、と後悔や心配事を残しながら卒業する人間では無いと思うのだ。

おそらく、私がいなくなっても大丈夫、むしろいなくなることがグループにとってプラスである、と、強く思えたから、それだけメンバーを信頼出来ていたからこそ、卒業に踏み切ったのではないだろうか。

そう思いたい。

彼女のビジョンに映る、新しい青空へ羽ばたいていく四葉のクローバーは、きっとまばゆく輝いていたのではないかと想像する。

有安のビジョンに映った新生ももクロは、きっとこれからのライブを通じて、ファンに新しい希望を与えていくのだ。

そう願う。

ちなみに、有安などいなくてもよかった、そもそも不要であった、といった類の意見を目にすることがごくたまにあるが、5人時代の8年間を評価できない人間と話すべきことはない。
有安杏果の存在を抹殺することが残った4人の願いだと本当に思うのだろうか?。
ラスコンで有安さんへと贈られた4人の言葉の全てが欺瞞だと言っているのと同じだろう。
そんな輩はファンですらないと私は思っている。

緑が消えたクローバーは、これまで同様に彼女たちが弱音を見せることは少ないのだろうが、それでも5人時代のクオリティと評価を超えるためには、やはり現時点ではまだまだ試行錯誤する時間とライブ本数が必要なのではないか、本人たちにもその思いは大きいのではないか、と私は思っている。

ところで話は大きく変わるのだが、私は、今のタイミングで新しい箱推しの色が決まればいいと思っているがどうだろう。

色はももいろクローバーの象徴ともとれる。


緑のモノノフは漂流者だろう。

彼らの大多数はきっとこれからもライブ会場へ向かうのだ。

彼らには新しい戦闘服が必要であり、おそらく4色から選ぶより、箱推しの黒を選ぶのではないだろうか。

あくまで私の個人的な想像でしかないが、捨てられない緑への思い入れと、他の4色のファンへの配慮とが、心の中でせめぎ合った結果、黒を選ぶしかなくなるのではないかと思う。

そして他の4色を推していたファンも、緑色を着ていた友人に、強く自分の推し色を勧めることはないのではないか。

基本的にももいろクローバーZのファンは優しいのだ。

先程述べたようなごく一部の輩を除いて。

それぞれのファンの優しさや思いがぶつかりあった結果、緑は漂流してしまうのではないかと思っている。

だからこそ、もし今、ベストアルバムと10周年公演を迎えるタイミングで、新しい箱推し、つまり漂流した緑推しのための新色、例えば白色などが用意されたなら、きっとそこには細かい説明が無くとも、それぞれがストーリーと理由と存在意義を見出すのだ。

喪失を回復させるのに必要なものは新しい拠り所だ。代替の存在が必要である。

しかしももいろクローバーZはZであり続けることを選び、新メンバーなどは現れない。

それこそが、月のように輝いた矜持であり、ももクロたる所以なのであろう。

だからこそ、既存の環境の範疇で新しい存在を生み出すのは難しいはずだ。

必要であっても必要悪となってはならない。万人に等しく認められる存在でなければならない。

このグループの素晴らしい点は、箱推し色の存在だ。

私はいつからいわゆる箱推し色の黒色が使われているのかはっきりと知らないのだが、創世期にメンバーの脱退が起こった反省を踏まえて、拠り所となるベースカラーを用意していたのだとしたら、天才性の発想があったと思うがどうなのだろうか。

そして、8年と、5分の1と、差し色を失った今。

あまりにも重すぎる喪失に対する回復手段として、新しいベースカラー(なんでもいいはずだが、私には白しかイメージできない)が一発回答になるのではないかと思っている。

漂流者は黒と新しい色に流れ着き、喪失感を新しい次元へと背負っていくことが出来るのではないか・・などと夢想している。

ただこれは緑推しを思った時の話である。

グループをとりまく空気として、依然変わらぬ姿勢であったとしても、まったく問題は無いのだ。

変わらないことすらも、ももクロらしい。

そう思うこともできる空気を持っている、それもこのグループの強みだと思うからだ。

あくまで、緑をまとったファンたちにとって、一公演でも早く喪失から回復し、新しい青空へと随伴していけることを願った際に、そのような夢想もしてみたという話だ。

緑を推していたファンの皆も、他の4色を推していたファンも、箱推しでいたファンも、ももいろクローバーZを応援している全ての人間にとって、4色になったももクロを違和感も喪失感もなく、純粋な思いでの応援が一日でも早く出来るように、傷が癒えるように、そういったことを考えていた際に夢想したのだ。

これはグループの未来やモノノフのようなファンの未来を思った時に願うような話だ。

私のようなライトなファン個人の話とはまた違う。

例えばその時になっても、私は、有安杏果がいた時の音源を聞き続けているだろう。

私は彼女の「きばり」のファンであるのだから。

Z以前の音源が塗り替えられていったように、いまさら5人時代の音源にこだわってどうするのか、と言われる時もいつか来るのかもしれない。

半ば開き直りではあるが、それがどうした、と私は思う。

ノスタルジーに浸るのはおっさんの特権だと思っている。

だから私は古着で買った緑のパーカーを捨てられない。

そしてきっとこれからも着るだろう。


それがどうした、である。

前述したとおり、私はももいろクローバーZのファンである。

ただ、ライブに通うこともないし、唯一古着で購入したアメフトチームの緑のパーカーを愛用しているだけで、グッズのカラフルな衣服で推しを主張することもない程度の、ライトなファン層に属していると自認している。

そんな私でも、有安杏果さんがももクロを卒業、芸能界引退、の一報を知ったとき、膝から崩れ落ちるという比喩を体感しそうになった。

あの日、この有安さんの卒業の報道が静かにyahooニュースのトップに上がった時は目を疑った。

その後、刻一刻と情報が錯綜し、ファンにパニックが起こり、急遽生放送のワイドショーに出た時も、本当に驚き、呆然となった。

自身でも驚いたが、私は混乱し、仕事が手につかなくなったことをまだ暖かい記憶として思い出すことが出来る。

要するに、私はショックを受けたのだった。

私はあくまでライトなファン心理で彼女たちを追っていると思っていた。

酔狂で緑のパーカーを愛用しているのかも知れないとも思っていた。

しかし自身で思っていたものよりも遥かに多くのエネルギーを、彼女たちに使い、また貰っていたということだろうか。

ある程度の時間がたった今、落ち着きを取り戻しつつある今、有安さんがファンに望んだことを出来るのか自問自答している。

8年間のグループでの活動を、功績を、軌跡を、「お疲れさまでした」、と送り出すことが出来るのか、というやつだ。

緑推しのファンだった人々はどうなのだろうか?という興味も多分にある。

いま過去形で記したことも違和感がある。

消化、もしくは昇華できているのだろうか。

お疲れさまでした、と音で発するのは造作もないことだ。

しかしそういうことではないのだろうと思っている。

心から納得し、祝福し、諦めることが出来て、本当にお疲れ様でしたと思うことが出来るのかどうか、それが有安さんのファンに問われていることなのではないか、と思う。

現時点でわかっていることは、私にはまだ難しいということだ。

BUBKAの小島氏のインタビュー記事を読み、フォーク村での坂崎村長から贈られた言葉を聞き、川上マネージャーのツイートを目にした。

卒業ライブを視聴し、有安さんへのメンバーからの言葉を聞き、そして有安さん自身の晴れやかな表情を見た。

それでもなお思うところがある。

納得は出来る。事情も察する。そのための道筋も与えてもらったと思う。

祝福は心から出来る。

彼女の幸せを願うファンとしての心理はとても強い。

例えばメンバー個人の恋愛や結婚があったとして、それを自然と応援できる空気はこのグループの強みだ。

いうなれば親戚の子供を見守るような、多幸感に包まれた空気。

そんな空気を生み出すだけの、グループとファンが培ってきた歴史がある。

しかし、諦めることが出来ない。

私は彼女の歌声が消えたフォーク村での《灰とダイアモンド》を聞いて、相反するポジティブな感情とネガティブな感情が入り混じってしまった。

坂崎村長の参加があったとはいえ、アコースティックの環境で立派に勤め上げた4人に、ポジティブなこれからのももクロを感じることが出来た。

しかしこの編成に、ソロパートに、ユニゾンに、ハーモニーに、コーラスに、有安杏果の声がもう乗らないのだなと思ったとき、ネガティブな感情も押し寄せた。

私はももいろクローバーZのファンのままではいるはずだ。

だが、1/21までと同じ温度で彼女達を応援できるのか、同じ量のエネルギーを受け取ることができるのか、いまは自信がないのである。

ひとまずは改名がなくてよかったというファンの総意はあると思う。

しかし私は、変えてしまってくれ、という思いも持ってしまった。

やはりグループの中でも緑は私にとって特別だった。彼女がいなくなるグループには改名という区切りを望んでしまった。

緑推しだったファンはどうするのかと思ってしまう。

新しい旅立ちを果たしたグループの、これからの歴史となっていくライブに際し、もう過ぎ去った緑の衣服を着て行くのだろうか。


それをグループのメンバーは歓迎するのだろうか。運営側は緑がいた歴史を生かすのだろうか。緑推し以外のファンの皆はどう思うのだろうか。


とても寂しいが、グループの歩む道が本道であると思えるならば、青が消えた時のように、緑は消えなければならないのだろう。

あの時とは、積み重ねた時間も、密度も、去り方も違うとしても、そうでなければ新しい青空は広がらないのだと思う。

いつか、早見さんのように、ああ過去にいたメンバーだな、と思える時がくるのだろうか。

当時の早見さん推しのファンの方は大変だったろう・・・と、今更ながらに思ってしまう。

しかし、青が消えた時とは、決定的に異なる点がある。


早見さんの時と違うのは、画面を通して応援できない点だ。

ファンにとって本当に大きかったのはウレロという舞台があったことだろう。

相応の努力があってこそだと百も承知だが、それでも以降の彼女の活躍を考えれば青推しは不幸にはならなかったのではないかと思う。

女優というジャンルに羽ばたいて行った早見さんの活躍と、名前にZがついてからのグループの大躍進と活躍との、両方を追いかけることが出来たからだ。

だが今回は残念ながら違う。

有安さんは普通の世界を目指して卒業した。

もう彼女を追いかけることはできないのだから。


私も含め、有安杏果を推していたファンを苛むものは暗く大きい。

喪失感だ。

先日、私はももいろクローバーZについて、ファンであるという内容を記した。

ただ、カテゴライズするならば、いわゆるモノノフと呼ばれるファンの方々とは遠く離れた立ち位置になると思う。

生来悪い脚腰もあり、ライブに参加するということも近年はなかった。


グッズを購入し推しカラーの衣服を身にまとうことも、サイリウムを手にもつこともない。

この年でいささか恥ずかしいという思いも正直ある。

彼女たちが幅広い世代のファンに愛されているおかげで、私のようなおっさんでもファンを公言しやすい環境にあると思う。


さらには私の好きなフォークジャンルのミュージシャン達に愛され、数多くの共演を果たしている。おのずとTV出演やライブ映像で彼女たちの姿を視聴する機会も多くなった。


それでも私がモノノフとなることはなかった。

私には妻と思春期の娘との生活があり、彼女たちの前では硬派な父親像を守り続けている。

ただのそれだけの理由ではあるが私には大事であるからして、グッズを購入して推し色を身にまとうことはしないのだが、数年前に古着屋で購入した緑のパーカーが、普段着としてヘビーローテする衣服の中にラインナップされていることは記しておく。

そんな私であるから、おもなファン行動としては、BSで見ることのできる彼女たちの番組を数週遅れで後追いする、CSの番組は出来るだけ早く視聴しているが、生活圏で放送されている大御所落語家との地上波番組を数十話録り貯めした中からも、時間がある時に視聴する、ライブDVDに関しては、見渡せば~以来一通り購入しているが、書斎に籠った時に視聴する。

そんなあたりである。

控えめに言ってもかなりライトなファンであると思う。

プロフィール
HN:
鈴木ゴッチ
性別:
男性
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