2025 .06.23
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
前述したとおり、私はももいろクローバーZのファンである。
ただ、ライブに通うこともないし、唯一古着で購入したアメフトチームの緑のパーカーを愛用しているだけで、グッズのカラフルな衣服で推しを主張することもない程度の、ライトなファン層に属していると自認している。
そんな私でも、有安杏果さんがももクロを卒業、芸能界引退、の一報を知ったとき、膝から崩れ落ちるという比喩を体感しそうになった。
あの日、この有安さんの卒業の報道が静かにyahooニュースのトップに上がった時は目を疑った。
その後、刻一刻と情報が錯綜し、ファンにパニックが起こり、急遽生放送のワイドショーに出た時も、本当に驚き、呆然となった。
自身でも驚いたが、私は混乱し、仕事が手につかなくなったことをまだ暖かい記憶として思い出すことが出来る。
要するに、私はショックを受けたのだった。
私はあくまでライトなファン心理で彼女たちを追っていると思っていた。
酔狂で緑のパーカーを愛用しているのかも知れないとも思っていた。
しかし自身で思っていたものよりも遥かに多くのエネルギーを、彼女たちに使い、また貰っていたということだろうか。
ある程度の時間がたった今、落ち着きを取り戻しつつある今、有安さんがファンに望んだことを出来るのか自問自答している。
8年間のグループでの活動を、功績を、軌跡を、「お疲れさまでした」、と送り出すことが出来るのか、というやつだ。
緑推しのファンだった人々はどうなのだろうか?という興味も多分にある。
いま過去形で記したことも違和感がある。
消化、もしくは昇華できているのだろうか。
お疲れさまでした、と音で発するのは造作もないことだ。
しかしそういうことではないのだろうと思っている。
心から納得し、祝福し、諦めることが出来て、本当にお疲れ様でしたと思うことが出来るのかどうか、それが有安さんのファンに問われていることなのではないか、と思う。
現時点でわかっていることは、私にはまだ難しいということだ。
BUBKAの小島氏のインタビュー記事を読み、フォーク村での坂崎村長から贈られた言葉を聞き、川上マネージャーのツイートを目にした。
卒業ライブを視聴し、有安さんへのメンバーからの言葉を聞き、そして有安さん自身の晴れやかな表情を見た。
それでもなお思うところがある。
納得は出来る。事情も察する。そのための道筋も与えてもらったと思う。
祝福は心から出来る。
彼女の幸せを願うファンとしての心理はとても強い。
例えばメンバー個人の恋愛や結婚があったとして、それを自然と応援できる空気はこのグループの強みだ。
いうなれば親戚の子供を見守るような、多幸感に包まれた空気。
そんな空気を生み出すだけの、グループとファンが培ってきた歴史がある。
しかし、諦めることが出来ない。
私は彼女の歌声が消えたフォーク村での《灰とダイアモンド》を聞いて、相反するポジティブな感情とネガティブな感情が入り混じってしまった。
坂崎村長の参加があったとはいえ、アコースティックの環境で立派に勤め上げた4人に、ポジティブなこれからのももクロを感じることが出来た。
しかしこの編成に、ソロパートに、ユニゾンに、ハーモニーに、コーラスに、有安杏果の声がもう乗らないのだなと思ったとき、ネガティブな感情も押し寄せた。
私はももいろクローバーZのファンのままではいるはずだ。
だが、1/21までと同じ温度で彼女達を応援できるのか、同じ量のエネルギーを受け取ることができるのか、いまは自信がないのである。
ひとまずは改名がなくてよかったというファンの総意はあると思う。
しかし私は、変えてしまってくれ、という思いも持ってしまった。
やはりグループの中でも緑は私にとって特別だった。彼女がいなくなるグループには改名という区切りを望んでしまった。
緑推しだったファンはどうするのかと思ってしまう。
新しい旅立ちを果たしたグループの、これからの歴史となっていくライブに際し、もう過ぎ去った緑の衣服を着て行くのだろうか。
それをグループのメンバーは歓迎するのだろうか。運営側は緑がいた歴史を生かすのだろうか。緑推し以外のファンの皆はどう思うのだろうか。
とても寂しいが、グループの歩む道が本道であると思えるならば、青が消えた時のように、緑は消えなければならないのだろう。
あの時とは、積み重ねた時間も、密度も、去り方も違うとしても、そうでなければ新しい青空は広がらないのだと思う。
いつか、早見さんのように、ああ過去にいたメンバーだな、と思える時がくるのだろうか。
当時の早見さん推しのファンの方は大変だったろう・・・と、今更ながらに思ってしまう。
しかし、青が消えた時とは、決定的に異なる点がある。
早見さんの時と違うのは、画面を通して応援できない点だ。
ファンにとって本当に大きかったのはウレロという舞台があったことだろう。
相応の努力があってこそだと百も承知だが、それでも以降の彼女の活躍を考えれば青推しは不幸にはならなかったのではないかと思う。
女優というジャンルに羽ばたいて行った早見さんの活躍と、名前にZがついてからのグループの大躍進と活躍との、両方を追いかけることが出来たからだ。
だが今回は残念ながら違う。
有安さんは普通の世界を目指して卒業した。
もう彼女を追いかけることはできないのだから。
私も含め、有安杏果を推していたファンを苛むものは暗く大きい。
喪失感だ。
PR