2025 .06.23
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2018 .02.09
思い返せば、ミュージシャンやアーティストのライブを見て涙が堪えきれなかった初めての経験をしたのは、有安さんを見てだった。
いくつかの事情があるのだが、簡単に説明すると東北の震災後に彼女の動画が話題となり、友人に勧められて見たのだ。
有名な横浜ブリッツでの、ニッポン万歳の動画だった。
この歌は、そもそもグループなりに、押しつけがましくならないように、それでも被災地の復興を願ってつくられた歌だったのではないかと聞いたことがある。
大々的に震災復興をうたった曲ではないし、シングルリリースもされていないはずだ
このそんな曲であるから、申し訳ないが、何枚かライブDVDを見たころの私にも、面白い歌だな、程度の印象しかなかったはずだ。
しかしこの動画を見てから今日まで、深く私の心に刻まれた曲になっている。
当時ももクロを知りはじめたばかりの私は、動画サイトにアップされていた動画を見漁っていた。今思えば、違法性の高いアップロード動画を見ていた可能性が高く、その点には反省を思うことも多々ある。
だが、有名な川上マネージャー氏がどこかで述べていたと記憶しているが、「この手のものにはかなり寛容で緩い」といった対応をしていたおかげか、ももクロを知るための素材が無数に転がっていた状況だったと思う。
私は凄まじい勢いで彼女達を知り、ファンとなっていった。
件のニッポン万歳を見たのはそんな時期である。
有安さんは、震災復興の願いが託されたパートを歌っていた。
いや、その動画では歌ではなかった。
そこには嗚咽に近い声を震わせ、涙を流しながら歌い踊る有安さんの姿があった。
これは厳密にいえば、最もストイックでプロ意識が高いと度々評されてきたはずの有安さんからは程遠い失態であろうか。
アマチュアのように感情をコントロールできずにパフォーマンスを失敗しているのだから。
しかし、震災で失ったことがあり思うところがあった私は、完全に彼女に感情移入してしまった。
月並みな表現だが、魂が揺さぶられたというか、心にズシンとくるものがあった。
涙を堪えることができなくて、ティッシュに手が伸びる。
それどころか、繰り返し視聴し、部屋にあったティッシュ箱の中身を半分ほど消費してしまった。
私にとってのアイドルとは、思春期を迎える頃に憧れていた南野陽子であり森口博子であって、何十年も時を経たこの時に、ここまでアイドルに心が揺さぶられたことは、私自身にとっても大きな驚きであった。
ちなみにアイドルというひとくくりの仕方が、このグループにとって適しているかどうかは後々考えさせられるところであったのだが。
とにかく私は、アイドルグループの、とりわけその中で緑の衣装を着たメンバーのファンとなってしまったのだ。
ちなみに私は、初めてももクロを知ったのは、大変申し訳ないが、ジャケット写真の件と、対談の中で他国への言及があった件の、ネガティブな報道が二つ続いた時期だ。
私は性格的にか、一方的な報道に対する野党精神というか、判官びいきというか、とにかく弱い立場の意見も知りたいという妙な欲求があり、例えば紙面を騒がせた事件があったとして、本当に報道のとおりなのか、偏向がないのか、確認するためにわざわざ裁判傍聴に繰り出すような、変わった行いをしていた時期もある。
この時、重ね重ね失礼ではあったが、私の目にはももいろクローバーZは弱い立場に映り、私の欲求はももいろクローバーZを知りたいと私を強く刺激したのだった。
そんな時期だったと記憶しているが、私は彼女たちのファンである消防士の友人に強く勧められて、あるライブのDVDを初めて目にすることになったのだ。
ちなみに余談であるが、友人はもちろん、彼の職場の少なくない人数がモノノフを自称している。どうやらなぜか消防士には同好の士が多いらしい。
話を戻すが、その時見た私にとってのはじめてのライブ、まさに「はじめてのももクロ」が、当時リリースされたばかりの5TH DIMENSIONであった。
つまり私が最初に視聴したライブは、5色の華やかな世界観も、モノノフのコールの凄まじさも知らないまま、奇妙な仮面を被ってシックなデザインのベージュに統一された5人組が行うライブから見てしまった?のだ。
私のイメージしていたアイドルの華やかさやコケティッシュさといった要素は皆無。
スタイルも悪く見えてしまいそうな長袖長ズボンの衣装で歌い踊る姿に、私は混乱した。
この時、なにも知らかった私に強く残ったものが3つある。
まずそのパフォーマンスの中で強く印象に残った楽曲だ。
私にとって変わらず今でも仮想と灰ダイが心の中のベスト曲候補のままだ。
しかも、猛烈、労働、乙女、サラバ、などのキラーチューンを初めて一斉に見たのだ。
私は友人に、まず楽曲からファンになったと断言している。
次に強い印象を残したものが演出だ。多数のダンサーがパフォーマンスする、まるでなにかのショーのような演出。
そして合間に入る「サイリウムまであと〇〇分」の表示。
私はこの時まで、サイリウムという単語を知らなかったし、パフォーマーが帯同する大掛かりなショー的要素の強いライブが持ち味のグループなのかと勘違いすらしてしまった。
そんな見方で進めていた私に、最も印象を残したものはやはり、ライブ後半に爆発したファンと、5色の凄まじいエネルギーだった。
初見の私は、前半のアーティストとしての見せ方から感情移入してしまったので、後半の全力パフォーマンスに、このグループの真骨頂に、ただただ圧倒されたのだった。
私がこちらこそがももクロの本質だと知るのにはもう少し時間を要した。
このDVDの中で、とりわけ前半に繰り返し聞いてみたい曲が多数あり、頭にメロディーが刻まれるまで、前半だけを何度かリピートして見てしまったからだ。
そんな私にとってこのライブがももクロにとって異質な部類のものである、ということに気づくのは後日の話だ。
今になって思えば、次に勧められて見たのが、春の一大事2012のパノラマ地獄だったことを考えると、友人のチョイスに悪戯めいたものを感じずにはいられない。
しかし、これから5人時代のももクロのライブを見てみたいというリクエストがあったら、私もこの順番で見せることにするだろう。そうして感想を聞くことにより、当時の自身の感情の追体験をしてみたいという欲求がある。
この時の私はやはり初心者らしく、センターポジションで笑顔を爆発させていた愛されているリーダーに魅力を感じていたと思う。
しかし5THを見たころ、私はももクロ情報を求めて知ったことがあった。
メンバーの内の緑を担当する彼女に対して、ネガティブな意見があったことだ。
これはあくまで私見だが、今の穏やかで愛に包まれて見えるももクロちゃんを取り巻く環境は、この頃もう少しとげとげしく、ギスギスしていたように思う。
確かオズフェスに出演することが、専門誌に叩かれたりしていたのもこの時期だったと記憶している。
そんな時期だからか、有安さんは批判されていた。
彼女の当時の体形についてだったと思う。
悪意に満ちた表現も何度か目にした。
事実、まったくもって申し訳ない話なのであるが、5THを初めて見た時の私の初見の印象は、この時の衣装も相まって、やはりスラリとした4人と、若干ぽっちゃりとした1人のバランスとして残っているのである。ごめんなさい。
ともかく、当時の私の目に有安杏果は、歌唱力は高いが、叩かれがちな少女として映ったのだ。
そういった環境で、前述の私自身の嗜好もあり、私は有安さんが気になっていく。
そして彼女を応援したい欲求をもつことになった。
以前に赤のリーダーが「私から入って他推しになるあるある」と自虐ネタとして笑い話にしていたが、私もそうであった。ごめんなさい。
こののち、冒頭のニッポン万歳を知った頃には、私は緑推しである、と胸を張って友人に告げていた。
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2018 .02.09