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緑の葉は散り、四葉のクローバーが残った。
全身を緑で武装して、足しげくライブにかよっていたモノノフのようなファンに比べたら、とくにグッズなども購入していないような、ライト層のファンである私個人などの悩みは少ないものだろう。
しかし古着で買った緑のパーカーを着るときに感じていた感覚が、高揚から喪失へとすり替わってしまった。
もうあの感覚でこのパーカーに袖を通すことはないのかと思うと、寂寥の思いがこみ上げる。
しかし我々のような思いを引きずってでも、グループは進まねばならない。
緑色を失ったこれからも、残った4色で新しい歴史を紡いでいくことは、彼女達には当然の命題であるはずだ。
だから、我々には及びもつかないようなエネルギーを、おそらく悩みも不安も悲しみも抱えたまま、新しいフォーメーションや歌に注いでいかなければいけないのだ。
ライトながらも緑を推していた私だが、素直に四葉となったももいろクローバーZを応援したいと思っている。
それは周知のとおり、有安杏果の願いでもあるのだ。
4人となった彼女たちの、グループとしての成功はおそらく、近い未来に評価を勝ち取ることだ。
例えばであるが・・・
「幸せを呼ぶ四葉のクローバーの伝説を体現したグループ。奇跡の4人だよ」
「有安が残した歌唱とダンスのエッセンスが、この本当のももクロを完成させた」
「あの時、有安杏果が卒業した時、もうももクロは終わってしまうのかと思ったけど、今になってこの4人でももクロなんだと、心から思える」
「緑が欠けて四葉のクローバーになった。でもあの時有安が言ったように、メンバーの4人と、モノノフとで奇跡の5角形が描けるんだと、今になってわかるよ」
・・そんな会話がファンの間で交わされる日が来る。
きっと来る。
私は、このグループの根幹は「走れ」であり、最大の強みは、走り続けて次のステージへと駆け上がる、ファンを引っ張り上げる、そんな実現力だと思っている。
きっと彼女たちは実現させるのではないか。
そして、四葉のクローバーを完成させる。
そのためにメンバーもスタッフも、これからも走り続けるのであろうから。
きっと評価を勝ち取る日が来るのだ。
私はその姿を心から応援していると思う。
私は、緑を推していたファンが、有安さんに心からお疲れさまでしたと思える日は、四葉のクローバーが輝いて評価を勝ち取った時に訪れるのではないかと思う。
新しい次元へと旅立つ四葉を応援するために、ああ、この4人ならば有安がいなくなっても大丈夫だ、と安心したい心理があるからだ。
個人的な意見だが、有安杏果という人間は、私がいなくなっても大丈夫かな、と後悔や心配事を残しながら卒業する人間では無いと思うのだ。
おそらく、私がいなくなっても大丈夫、むしろいなくなることがグループにとってプラスである、と、強く思えたから、それだけメンバーを信頼出来ていたからこそ、卒業に踏み切ったのではないだろうか。
そう思いたい。
彼女のビジョンに映る、新しい青空へ羽ばたいていく四葉のクローバーは、きっとまばゆく輝いていたのではないかと想像する。
有安のビジョンに映った新生ももクロは、きっとこれからのライブを通じて、ファンに新しい希望を与えていくのだ。
そう願う。
ちなみに、有安などいなくてもよかった、そもそも不要であった、といった類の意見を目にすることがごくたまにあるが、5人時代の8年間を評価できない人間と話すべきことはない。
有安杏果の存在を抹殺することが残った4人の願いだと本当に思うのだろうか?。
ラスコンで有安さんへと贈られた4人の言葉の全てが欺瞞だと言っているのと同じだろう。
そんな輩はファンですらないと私は思っている。
緑が消えたクローバーは、これまで同様に彼女たちが弱音を見せることは少ないのだろうが、それでも5人時代のクオリティと評価を超えるためには、やはり現時点ではまだまだ試行錯誤する時間とライブ本数が必要なのではないか、本人たちにもその思いは大きいのではないか、と私は思っている。
ところで話は大きく変わるのだが、私は、今のタイミングで新しい箱推しの色が決まればいいと思っているがどうだろう。
色はももいろクローバーの象徴ともとれる。
緑のモノノフは漂流者だろう。
彼らの大多数はきっとこれからもライブ会場へ向かうのだ。
彼らには新しい戦闘服が必要であり、おそらく4色から選ぶより、箱推しの黒を選ぶのではないだろうか。
あくまで私の個人的な想像でしかないが、捨てられない緑への思い入れと、他の4色のファンへの配慮とが、心の中でせめぎ合った結果、黒を選ぶしかなくなるのではないかと思う。
そして他の4色を推していたファンも、緑色を着ていた友人に、強く自分の推し色を勧めることはないのではないか。
基本的にももいろクローバーZのファンは優しいのだ。
先程述べたようなごく一部の輩を除いて。
それぞれのファンの優しさや思いがぶつかりあった結果、緑は漂流してしまうのではないかと思っている。
だからこそ、もし今、ベストアルバムと10周年公演を迎えるタイミングで、新しい箱推し、つまり漂流した緑推しのための新色、例えば白色などが用意されたなら、きっとそこには細かい説明が無くとも、それぞれがストーリーと理由と存在意義を見出すのだ。
喪失を回復させるのに必要なものは新しい拠り所だ。代替の存在が必要である。
しかしももいろクローバーZはZであり続けることを選び、新メンバーなどは現れない。
それこそが、月のように輝いた矜持であり、ももクロたる所以なのであろう。
だからこそ、既存の環境の範疇で新しい存在を生み出すのは難しいはずだ。
必要であっても必要悪となってはならない。万人に等しく認められる存在でなければならない。
このグループの素晴らしい点は、箱推し色の存在だ。
私はいつからいわゆる箱推し色の黒色が使われているのかはっきりと知らないのだが、創世期にメンバーの脱退が起こった反省を踏まえて、拠り所となるベースカラーを用意していたのだとしたら、天才性の発想があったと思うがどうなのだろうか。
そして、8年と、5分の1と、差し色を失った今。
あまりにも重すぎる喪失に対する回復手段として、新しいベースカラー(なんでもいいはずだが、私には白しかイメージできない)が一発回答になるのではないかと思っている。
漂流者は黒と新しい色に流れ着き、喪失感を新しい次元へと背負っていくことが出来るのではないか・・などと夢想している。
ただこれは緑推しを思った時の話である。
グループをとりまく空気として、依然変わらぬ姿勢であったとしても、まったく問題は無いのだ。
変わらないことすらも、ももクロらしい。
そう思うこともできる空気を持っている、それもこのグループの強みだと思うからだ。
あくまで、緑をまとったファンたちにとって、一公演でも早く喪失から回復し、新しい青空へと随伴していけることを願った際に、そのような夢想もしてみたという話だ。
緑を推していたファンの皆も、他の4色を推していたファンも、箱推しでいたファンも、ももいろクローバーZを応援している全ての人間にとって、4色になったももクロを違和感も喪失感もなく、純粋な思いでの応援が一日でも早く出来るように、傷が癒えるように、そういったことを考えていた際に夢想したのだ。
これはグループの未来やモノノフのようなファンの未来を思った時に願うような話だ。
私のようなライトなファン個人の話とはまた違う。
例えばその時になっても、私は、有安杏果がいた時の音源を聞き続けているだろう。
私は彼女の「きばり」のファンであるのだから。
Z以前の音源が塗り替えられていったように、いまさら5人時代の音源にこだわってどうするのか、と言われる時もいつか来るのかもしれない。
半ば開き直りではあるが、それがどうした、と私は思う。
ノスタルジーに浸るのはおっさんの特権だと思っている。
だから私は古着で買った緑のパーカーを捨てられない。
そしてきっとこれからも着るだろう。
それがどうした、である。
前述したとおり、私はももいろクローバーZのファンである。
ただ、ライブに通うこともないし、唯一古着で購入したアメフトチームの緑のパーカーを愛用しているだけで、グッズのカラフルな衣服で推しを主張することもない程度の、ライトなファン層に属していると自認している。
そんな私でも、有安杏果さんがももクロを卒業、芸能界引退、の一報を知ったとき、膝から崩れ落ちるという比喩を体感しそうになった。
あの日、この有安さんの卒業の報道が静かにyahooニュースのトップに上がった時は目を疑った。
その後、刻一刻と情報が錯綜し、ファンにパニックが起こり、急遽生放送のワイドショーに出た時も、本当に驚き、呆然となった。
自身でも驚いたが、私は混乱し、仕事が手につかなくなったことをまだ暖かい記憶として思い出すことが出来る。
要するに、私はショックを受けたのだった。
私はあくまでライトなファン心理で彼女たちを追っていると思っていた。
酔狂で緑のパーカーを愛用しているのかも知れないとも思っていた。
しかし自身で思っていたものよりも遥かに多くのエネルギーを、彼女たちに使い、また貰っていたということだろうか。
ある程度の時間がたった今、落ち着きを取り戻しつつある今、有安さんがファンに望んだことを出来るのか自問自答している。
8年間のグループでの活動を、功績を、軌跡を、「お疲れさまでした」、と送り出すことが出来るのか、というやつだ。
緑推しのファンだった人々はどうなのだろうか?という興味も多分にある。
いま過去形で記したことも違和感がある。
消化、もしくは昇華できているのだろうか。
お疲れさまでした、と音で発するのは造作もないことだ。
しかしそういうことではないのだろうと思っている。
心から納得し、祝福し、諦めることが出来て、本当にお疲れ様でしたと思うことが出来るのかどうか、それが有安さんのファンに問われていることなのではないか、と思う。
現時点でわかっていることは、私にはまだ難しいということだ。
BUBKAの小島氏のインタビュー記事を読み、フォーク村での坂崎村長から贈られた言葉を聞き、川上マネージャーのツイートを目にした。
卒業ライブを視聴し、有安さんへのメンバーからの言葉を聞き、そして有安さん自身の晴れやかな表情を見た。
それでもなお思うところがある。
納得は出来る。事情も察する。そのための道筋も与えてもらったと思う。
祝福は心から出来る。
彼女の幸せを願うファンとしての心理はとても強い。
例えばメンバー個人の恋愛や結婚があったとして、それを自然と応援できる空気はこのグループの強みだ。
いうなれば親戚の子供を見守るような、多幸感に包まれた空気。
そんな空気を生み出すだけの、グループとファンが培ってきた歴史がある。
しかし、諦めることが出来ない。
私は彼女の歌声が消えたフォーク村での《灰とダイアモンド》を聞いて、相反するポジティブな感情とネガティブな感情が入り混じってしまった。
坂崎村長の参加があったとはいえ、アコースティックの環境で立派に勤め上げた4人に、ポジティブなこれからのももクロを感じることが出来た。
しかしこの編成に、ソロパートに、ユニゾンに、ハーモニーに、コーラスに、有安杏果の声がもう乗らないのだなと思ったとき、ネガティブな感情も押し寄せた。
私はももいろクローバーZのファンのままではいるはずだ。
だが、1/21までと同じ温度で彼女達を応援できるのか、同じ量のエネルギーを受け取ることができるのか、いまは自信がないのである。
ひとまずは改名がなくてよかったというファンの総意はあると思う。
しかし私は、変えてしまってくれ、という思いも持ってしまった。
やはりグループの中でも緑は私にとって特別だった。彼女がいなくなるグループには改名という区切りを望んでしまった。
緑推しだったファンはどうするのかと思ってしまう。
新しい旅立ちを果たしたグループの、これからの歴史となっていくライブに際し、もう過ぎ去った緑の衣服を着て行くのだろうか。
それをグループのメンバーは歓迎するのだろうか。運営側は緑がいた歴史を生かすのだろうか。緑推し以外のファンの皆はどう思うのだろうか。
とても寂しいが、グループの歩む道が本道であると思えるならば、青が消えた時のように、緑は消えなければならないのだろう。
あの時とは、積み重ねた時間も、密度も、去り方も違うとしても、そうでなければ新しい青空は広がらないのだと思う。
いつか、早見さんのように、ああ過去にいたメンバーだな、と思える時がくるのだろうか。
当時の早見さん推しのファンの方は大変だったろう・・・と、今更ながらに思ってしまう。
しかし、青が消えた時とは、決定的に異なる点がある。
早見さんの時と違うのは、画面を通して応援できない点だ。
ファンにとって本当に大きかったのはウレロという舞台があったことだろう。
相応の努力があってこそだと百も承知だが、それでも以降の彼女の活躍を考えれば青推しは不幸にはならなかったのではないかと思う。
女優というジャンルに羽ばたいて行った早見さんの活躍と、名前にZがついてからのグループの大躍進と活躍との、両方を追いかけることが出来たからだ。
だが今回は残念ながら違う。
有安さんは普通の世界を目指して卒業した。
もう彼女を追いかけることはできないのだから。
私も含め、有安杏果を推していたファンを苛むものは暗く大きい。
喪失感だ。
この頁を記しているのは2018年2月。
暦上で新年を迎えてからしばらくたった頃の話だ。
ある女性アイドルがグループから卒業する旨のニュースが、yahooのトップページに掲載された。
そのニュースが上がったのは確か正午あたりだっただろうか。
そのニュースは、日本全国のあるジャンルのファンの心理に、とても大きな影を落としてしまったように思う。
いわゆる《アイドルのファン》である人間に対して叩きつけられた。
ももいろクローバーZの有安さんの卒業。
アイドルのファン、と書いたが、現在におけるアイドルというジャンルは多種多様を極め、そのファン層をひとくくりに表現していいものかは議論の余地があるだろう。
しかしこの件に関しては、応援しているアイドルにかかわらず、傾倒している熱量の差にかかわらず、すべからくアイドルファンを自認しているような人間にとっては、衝撃的なニュースであったのではないだろうか。
ももクロというグループには、アイドルというジャンルの中において、存在の大きさも、立ち位置の高さも、一般社会への認知度も、芸能世界における支持率も、追従者よりの目標点としても、つねに頂上への道を先導するエネルギーを持った競争者であり、トップランカーであったと、個人的には思っている。
つまり、超々メジャーアイドルだということだ。
そんな超アイドルの、少数精鋭かつ不動のメンバーであった一人が卒業する。
これは他アイドルのファンである人間にとっても、なかなかにヘビーな発表となったのではないだろうか。
多くの場所で、数々の人々が、この出来事について散々意見をぶつけ合った後ではあるが、私自身の思うことをここに置いておく。
この文を書いている今は2月4日になる。
路傍に公開するのはもっと後になるかもしれないが、とりあえず有安さんが卒業された1/21から2週間ほどが経過したことになる。
そんな時期である今日にも地上波CMで流れている、とある自動車メーカーのCMがある。
このCMはグループにとって特別なもので、地上波での彼女達の存在感をその放送回数から大いにバックアップしてくれるありがたいCMだと思う。
しかし、始まったころはあんなに高揚したCMも、今は違う感情で見てしまう。
グループのリーダーを中心としたシンメトリカルなフォーメーションに見慣れた私にとって、不自然に左端を切り取ってしまったようなメンバーの立ち位置には、まるで無理やりフォーメーションの一部を切り捨てたような違和感を感じるのだ。
あるべき場所に必要な色が失われてしまった。そう思う。
そんなわけで、グループの(現在の)メンバー達が見せるCMコンセプトを十二分に表現したような笑顔はとても素敵ではあるのだが・・・私としては、どうしてもなるべく見ないように、と意識してしまう、そんな変な心理状態になっている。
この心理は、いわゆる緑推しと呼ばれるファンの方達には通じるのではないかと個人的には思っている。
つまりグループの中で特に有安さんの存在にエネルギーを貰っていた私には、やはり寂寥の思いが押し寄せてくることは如何ともしがたい点なのである。
ちなみに私はグッズのカラフルな衣服や推し色のものを購入して身にまといライブに通うようなことはしていない。
しかし数年前あたりか古着屋で購入した濃い緑のパーカーを普段着のローテーションの中で着用するようになった。
個人的な嗜好としては、普段着として選びようのないはずだったカラーである。
しかしこの頃の私にとって、《緑色》は、「個人的好きな色選手権」の順位で大躍進を果たしていた。
つまりももクロの、そして有安さんのファンになっていた。
だから、推し色を身に着ける文化を知り、影響を受けて、普段着のローテーションに今までなら選ぶことがなかった緑色のパーカーを取り入れたわけである。
年齢的な気恥ずかしさもあって、グッズではなく、普通の衣服であったあたりが、いわゆるライトなファン層になると思うのだが、それでも私は緑推しであった。
私がいま最も強く視覚的に喪失感を感じるのは、件のCMにおいて、不自然に感じてしまうメンバーの立ち位置を見た時と、グループのロゴから消えた緑色を確認した時だ。
ああ、秋っぽい系統の色でまとまった新しいロゴは確かに統一感はあるのかなあ、でもやはり緑の差し色の効果は大きかったのではないかなあ、視覚的にも必要なカラーだったのではないか‥などと思いにふけってしまうのである。
つまりどういうことかというと、私は奇跡の5人と謳われた彼女たちのファンであった。
冒頭で記した日本全国のあるジャンルのファンである人たちの一人ということだ。
現在もそうである。
ただし、散った葉を忘れることが出来ないでいるのだが。